(前回の関連記事は「熊本地震の体験談 避難所編その1 」です。)
命からがら、家から近所の高校へ避難したのですが…(T_T)
これで安心という訳ではありませんでした。
高校に避難はしたけれど…
私達が避難した高校は、指定の避難所ではありませんでした。
これが悲劇の始まりだったのです(T_T)
しかも、隣は被害の大きな益城です。
支援物資はそちらの方には届いていました。
けど、私の避難した高校には物資は殆ど…(T_T)
初日支給されたものは、
でした。
まあ、初日は恐怖と疲労でそこまで空腹は感じなかったのです。
ただ、喉は渇きます。
なので水は、もっと欲しかったですね。
ただ、贅沢は言ってられません。
私たちだけではなく、他の人達も同様だからです。
それに、市の職員の方にとっても大変だったようなのですよ。
その理由は、高校に避難してきた人が2000人を越えていたから^^;
まあ、一気にこんなに避難されては物資も行き届きません。
これは仕方がないのかもしれません。
初日は近くの家の人の炊飯器(五合炊き)で2000人分のおにぎりを
つくっていました。
2日目の配給は
でした。
初日で配給は期待できないと悟ったので
2日目はスーパーの開店情報をネットで調べて駆けまわりましたよ(T_T)
1件目は売り切れ(T_T)
2件目と3件目でなんとか水を二リットルのペットボトル4本とお菓子などの
食料品をGetできたのは嬉しかったですね。
ただし、3件目は買い物をするのに2時間も待ちましたけど…^^;
商品も品薄だったので、並ばなければいけないのは仕方がありません。
コンビニは軒並み閉まっていましたよ。
24時間営業が普通のコンビニが閉まっているなんて
ちょっと新鮮な光景なのですけどね。
でも、この時は空腹と喉の渇きで、
そんな感慨にふけっている余裕はありませんでした。
3日目ぐらいから支援物資が届いきはじめました。
2日目には
「この避難所は自衛隊から嫌われている。」
などという噂が流れていましたっけ^^;
まあ、そんなことはないだろうと個人的には思っていました。
それはともかく、これぐらいから毛布やらカイロやら食事もちゃんと
したものを配るようになりました。
カレーやら、焼き鳥やら、ホルモンやら、スープとか(^^)
物資がちゃんと支給されだしたのは、物資が避難所に届き始めたから。
それともうひとつの理由は避難者の数が減ってしまったことです。
満足に物資が支給されない場所にいたくはないのでしょう。
他の避難所に移られた方も結構いたようです。
私達は家が近くなので、この高校のほうが家の片付けなどが楽なのですよ。
近道を使えば5分で家に行けるんですよね。
それでここに残ったのです。
最後に
流石に避難所生活をしていたので、
6日間は仕事は休ませてもらいました。
仕事をしている場合でもなかったもので…^^;